月刊・商工会8月号・表紙&取材掲載いただきました!

月刊商工会8月号にて、丹後地域の事業者の特集があり、表紙&取材掲載いただきました!

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港まちに生きる

「間人」と書いて「たいざ」と読む。関東から来た筆者には、ヒントすらない摩訶不思議な難読地名。伝説によれば、聖徳太子の母・間人皇后が、逃れ着いた地に自分の名前を与えたところ、恐れ多いと感じた村人が皇后の退座にちなんで「たいざ」と読むことにしたらしい。
断崖や岩礁などからな風光明媚な海岸線が続く丹後町地域。その間人地区は、冬はズワイガニの水揚げで知られる港まちだ。漁港や日本海を望む海岸に立つと、今度は不思議な光景が目に入った。一見、浅瀬の大きな潮溜まりのようなそれは、手すりやコンクリートの通路が設けられ、明らかに人工物である。振り返れば小学校。もしやと思えば、やはりそうだった。
「昔からある海のプールですね。私も泳いでいましたよ。そんなに珍しいかな」。
そう教えてくれたのは、間人で生まれ育った下岡千恵子さん。
彼女の商売もまた、海辺の町らしいものだった。間人漁港を中心に競りで魚介類を仕入れて、得意先の個人宅に売りに行く行商だ。「丸友鮮魚」の屋号で母親と2人で営んでいる。
間人をはじめ、この辺りでは手押し車の時代から、店舗をもたない行商文化が根付いてきたのだという。
大阪で会社勤めをしていた下岡さんは、2019年、行商を営む父の急逝を帰郷。訃報を伝えた得意先から「続けて欲しい」という声を多く耳にする。
お客様のためにも行商を守らなければ。
兵庫・城崎の鮮魚店で包丁の持ち方をはじめ一から修業して、2020年に家業を再開した。
「私が魚を3枚に下ろすなどの仕込みから、干物や刺身の調理・加工まで担当し、母が車で得意先を回っています」とはいえ、スーパーの進出や顧客の高齢化など課題も多い。そこで昨年からは、カニや干物のネット販売を始め、全国への販路開拓にも奮闘している。
近所の得意先に案内してもらった。母の有佳子さんが、庭先に停めたワゴン車のバックドアを上げて“店”を開ける。「今日は何があるかしらね」。顧客とのそんな会話から始まる交流と、そこで育まれる信頼感が、行商の文化を培ってきたのだろう。
「行商を残していくためにも、もっと地域外へのネット販売を伸ばしていきたい」と下岡さん。絵筆を包丁に、キャンバスはまな板に変わっても、そこに描かれる夢はきっといつまでも色褪せない。

Picture of 丸友 鮮魚

丸友 鮮魚

地元のお客様への販売が主体の行商の鮮魚店を営む当店は、曾祖母の代から創業約60年。 間人漁港の仲買人として、競りに立ち、自ら魚を目利きし買い付け、新鮮なままお客様の元へ。 ネットの力を借りて、全国の皆さんと共有し、美味しいわたしのつくった魚をぜひ召し上がっていただきたいです。

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